「結果がすべて」という考え方に潜む危険

結果への道しるべ ビジネス

重要なのはプロセスではなく「結果」である。

 

この「結果がすべてである」という考え方は、勝負の世界やビジネスの世界にはよく見られます。

 

特に外資系の営業やコンサルタント、フルコミッション制(完全歩合制)で働く人たちの間では、そのような考え方は当たり前のようになっています。

 

「結果がすべて」というのは、たとえば営業職で、売り上げさえ上げていれば(結果は出しているので)、あとは勤務中にパチンコをしようが、マンガ喫茶で遊んでいようが、何をしようが、自由だろうという考え方です。

 

この例についての是非はさておき、「結果がすべて」という考え方には、とても大きな危険があるのです。

 

今回は、「結果がすべて」という考え方に潜む危険についてお伝えします。

「結果」だけを求めると、近道をしたくなる

電卓と帳簿

他人のものを盗むというのは当然、犯罪行為であり、法律的に見ても、道徳的に見ても許されない行為です。だから、盗みを働いても良いなどと思っている人は、ほとんどいないでしょう。また、盗み働きたいと思っている人も少ないでしょう。

 

しかし、人はある状況に置かれると、悪事を働きやすくなってしまうのです。

 

たとえば、他人の傘を盗むということは普通なら考えられません。明らかな窃盗行為だからです。ですが、以下のような状況ならどうでしょうか?

 

ある人が、雨の日に傘をさして、公共の施設に行きました。施設の入り口に置いてある傘立てに傘を置いて、用事を済ませて、帰ろうとしたら、自分の傘がなくなっていました。

 

誰かが間違って持って行ったのかもしれません。外は土砂降りの雨で、ちょっと外に出ただけで、びしょ濡れになりそうです。このときに傘立ての中にあるたくさんの傘の中から、自分の傘に似ている他人の傘や、安っぽいビニール傘をちょっとだけ「借りる」可能性は上がるでしょうか?

 

自分の傘が持って行かれてしまったので、その代わりとして誰かの傘を拝借するという行為は、自分が傘を持ってこなかった場合に、ただ他人の傘を盗むことと、本質的には変わりませんが、倫理感の上では罪悪感が薄められるので、盗む確率は上がるでしょう。

 

人はある状況に置かれると、悪事を働く可能性が上がりますが、結果だけを求める場合もそうなのです。

「結果」だけを求めると、人はつい近道をしたくなってしまうのです。そして、その近道を通るときには、不正が付きものなのです。

 

「結果がすべて」という考え方は、つまり「勝てば官軍。どんな手を使っても勝てば、それでいいのだ」という考え方です。

 

この考え方は、結果に至るまでの手段やプロセスなどはどうでもよく、とにかく結果だけにフォーカスする考え方です。

 

結果を得るためには手段を選ばないという考え方をしていると、どうしても、「不正、ごまかし、ずる、裏切り」など、道徳や法律をないがしろにしてしまう行為が付いて回ります。これが一番危険なのです。

 

初めから法を破ろうとしたり、人の道を踏み外そうと思っている人はまずいません。ですが、結果だけを求めると、結果にこだわりすぎてしまい、過程を軽視してしまうことになるので、不正を行いやすくなってしまうのです。

 

アメリカの「エンロン事件」や、日本の「ライブドア事件」に代表される、巨額の粉飾決算事件は、企業利益のみを追求した結果起こった犯罪ですが、このように結果だけを求めると、人は周りが見えなくなってしまい、いとも簡単に不正を行いやすくなってしまうものなのです。

 

スポーツ選手が勝つために、禁止されているドーピングを行ってしまうのも結果がすべてだという考え方をしているからです。

 

スポーツ選手は、どんな選手であれドーピングをしてはいけないことは十分すぎるほどにわかっています。ドーピングはスポーツ選手にとって、あるまじき不正行為だということは頭では分かっているのですが、結果だけを重視すると、よい結果がでることがわかっているドーピング行為という誘惑に勝てなくなってしまうのです。

 

結果がすべてという考えをしていると、そのうちに不正の誘惑が頭をよぎるものなのです。

結果よりも重要なことがある

お金と心を天秤にかける

結果を出すことは重要なことには違いありませんが、それがすべてではありません。

結果よりも、重要なことはいくらでもあるのです。

 

それは、目標に向かう過程で得られる経験かもしれませんし、目標に向かおうとして頑張ろうとする精神かも知れません。

 

目標に向かうプロセスなど重要ではないという人にでも、はっきりと言えることは、法律を破ったり、人の道を踏み外すような不道徳な行為をしないということは、結果を出すことよりもはるかに重要なことです。

 

人が目標を求めて進んでいくときに、人の道を踏み外してでも結果を得たいと考える人はほとんどいません。どんな人にでも良心があるからです。

 

しかし、結果を出すことを第一に考えると、目が曇ってしまい、自分の良心を納得させ、不正行為を正当化するような言い訳を思いつくのです。

 

例えば、こういう場合にはこうするのも仕方がないことだとか、このような場合は例外だとか、今回だけなどというように、不正をしても良心が痛まないような理由を自分の都合の良いように作り出したり、拡大解釈したりしてしまうのです。不正を正当化し、不正だとは思わないように自分を納得させて、不正を行ってしまうようになるのです。

 

これこそが「結果がすべて」という考え方に潜む危険なのです。

まとめ

結果を出すことは重要ですが、それがすべてではありません。「結果がすべて」という考え方をしていると、不正を行いやすくなってしまうのです。結果だけを重視すると、そこに至るまでの手段を選ばなくなってしまうからです。

誰でも悪事を働きたいとは思っていませんが、「結果がすべて」という考え方をしていると、そのうちに盲目的になってしまい、自然の流れとして不正を行いやすくなるのが危険なことなのです。

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