「私が担任すると、ダメになっちゃうんですよね...」
これは、かつて幼稚園の先生をしていた人から聞いた話です。
その人は、今は幼稚園の先生を辞めて、別の仕事をしています。
いかにも優しそうで、幼稚園の先生にぴったりという感じの人だったので、なぜ辞めたのか聞いたときの答えが、冒頭の言葉でした。
その人は、子供が好きで幼稚園の先生になったのですが、園児に優しく接しすぎてしまい、園児が甘えて、ダメな人間になることが分かったそうです。
そのことが分かっても、ついつい優しくしてしまうので、自分には合っていないと思って辞めたとのこと。
たしかに、人にやさしくすることや、人の力になってあげることは、素晴らしい行為です。
しかし、安易に手助けをすると、人を弱くし、せっかくの優しさが、マイナスに働くことになり得るのです。
親切でしたことが裏目に
私も以前、軽い気持ちで手助けしたことが、マイナスに作用してしまったことがありました。
あるとき、Aさんが、Bさんに頼みたいことがあるけど、言いづらいと私に言いました。
私は、AさんともBさんとも仲が良かったし、Aさんの頼み事はたいした内容でもなかったので、「じゃあ代わりに、Bさんに言ってあげようか?」と聞くと、お願いしたいということでした。
私が、Bさんに頼みごとを伝えると、Bさんは、「なぜAさんが直接言わないのか?」、「Aさんは私を使って言わせているので、卑怯なやり方だ」と不満を漏らしました。
この後、BさんはAさんに、なぜ自分で言わなかったのか聞いていました。
Aさんは、「私が言ってくれると言うから...」と答えていました。
これを聞いて私は、失敗したことを悟りました。
良かれと思って、手助けをしたことによって、BさんがAさんに対して悪感情を持ち、更にAさんの自主性を奪うという、二つのマイナス要素を作り出す結果になってしまったのです。
本人がやるべきことは、肩代わりしてあげるべきではなかったのです。
Aさんが、Bさんに頼みたいことを言いづらいという話を聞いたときに、どのように言えばいいかということを、アドバイスすれば良かったと感じました。
そして、次の言葉が浮かびました。
「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」
魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ
「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」
これは、老子の言葉として知られる格言です(出典はユダヤ、東南アジア、アフリカ起源など諸説あります)。
この意味をストーリー仕立てで、紹介しましょう。
昔、お腹を空かした人が、魚を釣ってきた漁師に向かって、「私はずっと食事をしていなくて、腹ペコです。あなたの持っている魚を分けてくれませんか」と言いました。
すると漁師は、「魚をあげれば、お前は、今日一日だけは飢えをしのげるだろう。
しかし、魚の釣り方を教えれば、お前は自分で魚を取ることができる。
一生食べるのに困らないだろう」と言いました。
もし、漁師が魚をあげたら、お腹を空かせた人は、次の日も、また次の日も、物乞いをすることになっていたでしょう。
人に頼ってしまい、自ら解決しようとする主体性は生まれないことでしょう。
魚の釣り方を教えるのであれば、魚を釣るのは腹を空かせた自分です。
頼ろうとするのではなく、主体的に行動するようになるでしょう。
この格言の示すとおり、その場しのぎの対処法ではなく、自分で解決する方法を教えてあげることが、本当に相手のためになることであり、本当の優しさなのです。
まとめ
安易な優しさは、依頼心や甘えを生むことになります。
自主性を奪い、努力する気持ちをなくしてしまうのです。
安易な優しさは、自分のことは自分で解決するんだという、自主自立の精神を妨げることになります。
本当に相手のことを考えるのなら、相手が解決すべき問題は、相手に解決させなければいけません。
問題を解決してあげるのではなく、自分で解決策を見つけて、実行できるようにすることが、本当の優しさです。
コメント