「ものごとを楽観的に捉えましょう」というような話は聞いたことがある人が多いことでしょう。
悲観的な人より楽観的な人の方が、いい人生を送れそうだというのは直観的に考えて納得のいくものです。
というのも、一般的に「悲観」という言葉はマイナスのイメージとして受け止められ、「楽観」という言葉はプラスのイメージとして受け止められことが多いからです。
でも、本当に楽観主義で人生うまく行くのでしょうか?
楽観主義者か、悲観主義者か?
メンタルヘルスの講義や、ストレスマネジメント研修などでは、ものごとをポジティブに捉えるように教えられます。
たとえば、有名な性格判断法として、「水が半分注がれたコップを見て、その状態をどう思うか?」というものがあります。
「水があと半分しかない」と思う人は悲観的な見方をする悲観主義者、「まだ半分ある」と思う人は、楽観的な捉え方をする楽観主義と言われています。
このようにまったく同じ状況でも、悲観的な見方をするとストレスがかかりやすく、心の病気にもなりやすいので、ものごとを楽観的に捉えましょうというような話は聞いたことがある人も多いことでしょう。
また本屋には、古典的なベストセラーであるジェームズ・アレンの「原因と結果の法則」や、ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」のように、ものごとを前向きに捉えることの重要性を説いた本が山ほどあります。
マーティン・セリグマンの「オプティミストはなぜ成功するか」はそのままのタイトルですが、つまり、世の中で広く信じられているのは、オプティミスト=楽観主義者・楽天主義者になれば人生はうまくいくということです。
楽観主義という考え方は、私も概ね賛成なのですが、しかし、楽観主義には大きな落とし穴もあります。
楽観主義というのは誤解を招きやすい面があり、そして、実際に誤解している人も良く見かけます。
そのことを知らないと、楽観主義によって、人生に大きな悪影響を及ぼしてしまいます。
楽観主義にも種類がある
楽観主義というのは、大きく分けると2種類に分けることができます。
一つは、根拠のない「あいまいな楽観主義」です。
もう一つは、根拠がある「明確な楽観主義」です。
あいまいな楽観主義というのは、ものごとをなんでも楽観的に捉え、なんの根拠もないのに「大丈夫、未来は明るいだろう」と思う考え方です。
ビジネス書などにも、「根拠のない自信を持っていた方が物事はうまくいく」などと書いている本もよく目にします。何の根拠もないのに、楽観的に考えていれば、物事の暗い面は無視して、物事の明るい面だけを探して見るものなので、うまくいくこと感じることもあるかもしれませんが、たいていの場合は根拠のない自信を持っていても、それによって物事がうまく行くということは少ないでしょう。
「キック・アス」という映画の冒頭で、翼を付けたスーパーヒーローに扮した青年がビルの屋上に立ち、人々がそれに気づいて見上げている中、ビルから飛び立つシーンがあります。
人々はそれを見て喝采をおくりますが、スーパーヒーローに扮した青年はそのまま地面に激突してしまいます。
これは、あいまいな楽観主義の弊害をうまく描いているシーンだと思います。
スーパーヒーローの漫画を見て、自分にもそのような力があると根拠のない自信を持ち、空に飛び立つと、落下して死んでしまうのです。
あいまいな楽観主義の引き起こす弊害は大なり小なり、現実の世界でも起こっているのです。
触れずに敵を倒す男
相手に触れずに人を倒すことができると豪語していて、映像を公開している武道家・気功師の柳龍拳(やなぎりゅうけん)は、ホームページ上で他流試合の相手を募集し、どの武道、格闘家の挑戦も5万円で受けるとしていました。
2006年3月には挑戦金額を50万円に引き上げ、柳が負けた場合は100万円が支払われるという内容に変更されました。そして、岩倉豪という当時36歳でフルコンタクト空手・ブラジリアン柔術の経験者が柳に挑戦することになりました(柳は当時65歳)。
試合開始から数十秒で、柳は岩倉の左ストレートパンチをもろに食らい大量出血。一度はレフリーに止められましたが、試合を続行。再開後、顔に連打を入れられ、柳は歯を折り、救急車を呼ぶ騒ぎへと発展しました。
柳は、常識的に考えて勝てるはずのない試合をなぜしたのでしょうか?
それは自分は達人であり、どんな相手にも勝てると思い込んでいたからに違いありません。柳の振る手に合わせて弟子たちが、倒れるので、自分には本当に特別な力があると思っていたのです。
このように、あいまいな楽観主義は、現実的でない妄想に陥りやすいのです。
明確な楽観主義とは?
一方、もう一つの楽観主義である、根拠のある「明確な楽観主義」というものは、どういうものかというと、まず現状を把握し、より良い未来になると思う明確なビジョンを持っていて、それを実行に移す。「よりよい未来を作るために計画し、努力したのだから、きっとうまくいくだろう」というような考え方です。
あいまいな楽観主義には良い未来になるための根拠がなく、明確な楽観主義には、根拠があるのです。
明確な楽観主義者は、現状を把握し、うまくいく可能性を高めるためには、何をやるべきか分かっているのです。
勉強しなくても、試験でいい点が取れるだろうと明るい未来を思い描くのは、根拠がない、あいまいな楽観主義です。
試験のために勉強をしたから、いい点が取れるだろうと思うのは、根拠がある、明確な楽観主義です。
どちらが良い点が取れるか、どちらの考え方の方がうまくいくのかは明らかです。
「まあ何とかなるだろう」という人と、「やるだけやったから何とかなるだろう」という人は、一見すると同じ楽観主義に見えますが、両者の間には大きな差があるのです。
楽観主義や、ポジティブシンキングは、ものごとをただ良い方に捉えればよい、うまくいくと考えればよいと思われがちですが、それだけではうまくいかないのです。
自ら何の努力をしなくても、明るい未来が待っていると漠然と考える、あいまいな楽観主義には弊害があるだけです。現実から離れた、間違った未来を妄想して、それが現実になると思ってしまうのです。
頭の中で良いイメージをしたり、イメージトレーニングをすると、その通りになると言われていて、スポーツの世界では当たり前のように取り入れられています。
トップアスリートには、コーチがいて、練習もきちんとした上で、イメージトレーニングをしているので、効果があるのですが、一般人がただ良いイメージをしても、良い成績が良くなるわけではありません。
ある実験で、肥満体の人に自分のやせた姿を思い浮かべるようにイメージトレーニングを行ったグループと、イメージトレーニングを行わなかったグループを追跡調査した結果、イメージトレーニングを行った人たちの方が体重が減らなかったというものがあります。
イメージトレーニングをしたグループの人たちは、イメージの中のやせた姿に満足してしまい、実際にはダイエットをしようと思わなかったのです。これも、根拠のないあいまいな楽観主義の弊害と言えるでしょう。
根拠のないあいまいな楽観主義は、得てしてただの妄想になってしまい、行動しようとする気を奪ってしまうので、そんな楽観主義にはなってはいけないのです。
まとめ
より良い未来が訪れることには原因があるのです。
その原因となることを自ら行わないで、ただ良い未来になるだろうと妄想するだけの、根拠がない、あいまいな楽観主義者になってはいけません。
制約のない楽観主義は、自分の力で未来をより良いものにしようと努力しなくなるので、弊害があるだけです。
あいまいで制約のない楽観主義は、現実を正しく見ることができず、よりよい未来を漠然と妄想するだけの夢想家になってしまう危険性があるのです。
一方、明確な楽観主義は、現状を正しく捉える力、客観的な視点や、努力が伴います。
まずは現状を正しく捉える。そして、よりよい未来になるように努力をして、さらに、うまくいかない可能性も考えて、それにも備える。
こうして心の持ちようは、「やるだけやっているので、なんとかなるだろう」と考える。
これが理想的な楽観主義である、明確な楽観主義です。
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