「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
これは、福沢諭吉の「学問のすすめ」の冒頭の言葉です。
この言葉は有名なので、広く世に知られています。
この文章だけを見ると、福沢諭吉は「人は平等である」 ということを言いたいのだと思いますよね。
私も、「学問のすすめ」を読むまでは、そのように思っていました。
しかし、この後に続く言葉を読むとわかるのですが、 福沢諭吉の言いたいことは全く違うことだったのです。
「天は人の上に人を造らず」の続き
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の続きを現代語で要約すると、以下のようになります。
天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言われている。
しかし、この世の中には賢い人も、愚かな人もいる。貧しい人も、豊かな人もいる。 こうした雲泥の差ともいうべき違いは、どうしてできるのだろうか。
その理由は、はっきりしている。 その違いは、学ぶか学ばないかによってできるのだ。 つまり、人は生まれたときには差がないが、学べば社会的地位が高く、 豊かな人になり、学ばなければ、貧乏で地位の低い人になるということだ。
福沢諭吉が言いたかったことは、 「人は生まれたときには差がないが、学ぶか学ばないかによって大きな差が付く。 だから学びなさい」ということだったのです。
タイトルである「学問のすすめ」の通りで、学問をしなさいと奨励しているのです。
そして、ここで言う学問とは、いわゆる学校の勉強ではなく、 普段の生活に役立つ実学のことです。
例えば、「経済学というのは、個人の家計から世の中の会計全体までを 説明する学問である。 修身学とは、行動の仕方を学び、人との交流の仕方、 世間での振る舞い方・倫理を述べたものである」 というように、実学とは、知識を広げて、社会的役割にふさわしい知識や 人間性を備えることであると書いています。
自ら学ぶことの大切さ
すべての人間は2種類の教育を受ける。
一つは他人から受けるもの。
もう一つのもっと重要なものは、自分に与えるものだ。
―――エドワード・ギボン(18世紀イギリスの歴史家)
私は、人は生涯学び続けるべきだと思っています。
しかし、学校の勉強で学ぶことは終わりになっている人が、ほとんどで、 社会人になってから、勉強をしている人は、あまりいません。
学生時代より、卒業してからの人生の方が長いのですから、 その期間で学ぶか学ばないかで、人生に差が付くのは当然だと言えます。
私の知人は、学生時代は全然勉強をして来なかったけど、 社会人になってからは学んでいる。学ぶことが楽しいと言っていました。
やはりこのような姿勢の人は、多方面で活躍しています。
自分の人生を豊かなものにしたいのであれば、学び続ける必要があります。
学ぶとか、勉強と言うと、面倒くさいとか、 嫌なものだというイメージを持つ人もいますが、 何も、嫌なことをしなさいと言っているではありません。
自分の人生にとって、役立つこと、自分を良くするようなことを学べばいいのです。
つまり、幸せな人生を送るために学ぶのだ、とも言えるでしょう。
学ぶことで、人生が広がるでしょうし、知識を活用すれば実益が得られます。
また、学ぶこと自体が、脳に良い得い影響を与えます。
知的活動は、神経細胞を活性化し、認知症を予防するということが、 研究によって明らかになっています。
学ぶ心さえあれば、万物すべてこれ我が師である
どんなに立場がえらくなっても、どんな人からも学んだという、 現パナソニックの創始者・松下幸之助は、学ぶことの大切さを、 このようにエッセイに残しています。
”自分ひとりの頭で考え、自分ひとりの知恵で生み出したと思っていても、 本当はすべてこれ他から教わったものである。
教わらずして、学ばずして、人は何一つ考えられるものではない。 幼児は親から、生徒は先生から、後輩は先輩から。 そうした今までの数多くの学びの上に立ってこそ自分の考えなのである。 自分の知恵なのである。だから、よき考え、よき知恵を生み出す人は、 同時にまた必ずよき学びの人であるといえよう。
学ぶ心さえあれば、万物すべてこれ我が師である。
語らぬ木石、流れる雲、無心の幼児、先輩の厳しい叱責、 後輩の純粋な忠言、つまりはこの広い宇宙、この人間の長い歴史、 どんなに小さいことにでも、どんなに古いことにでも、 宇宙の摂理、自然の理法がひそかに脈づいているのである。 そしてまた、人間の尊い知恵と体験がにじんでいるのである。
これらのすべてに学びたい。どんなことからも、 どんな人からも、謙虚に素直に学びたい。
すべてに学ぶ心があって、 はじめて新しい知恵も生まれてくる。 よき知恵も生まれてくる。学ぶ心が繁栄へのまず第一歩なのである。
まとめ
学ぶことは学生時代で終わりではありません。
むしろその後が大切です。
自ら学んでいる人と、そうでない人では、 人生の豊かさという点で大きな差が付きます。
ですから、私たちは生きている限り学び続けるべきなのです。
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